生キャラメル/ラクレットチーズが大当たりでも北海道で嫌われる田中義剛 性格や年齢は?

若い時は芸能界で活躍した田中義剛さん。

芸能界を離れたと思ったらビジネスで大成功!

製品は大好評ですが、田中義剛さん自身の微妙な評判があるようなので調べてみました!

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大成功の牧場を開いた年齢は!?田中義剛さんのプロフィール

出典元:オフィシャルサイト

  • 生年月日:1958年3月13日
  • 星座:うお座
  • 血液型:B型
  • 出身地:青森県
  • デビュー:1986年~

青森県に生まれ、高校卒業までいました。

牧場を始めたきっかけは高校時代にまでさかのぼります。

友人がオホーツク海で遭難死してしまい、襟裳岬まで追悼の旅をしたそうです。

ちなみにオホーツク海は北海道の北側の海、襟裳岬は北海道の南側の岬、ということで矛盾しているのですが、恐らく高校生だったのでお金も尽きて襟裳岬までになったのでは無いでしょうか?

高校生なのに追悼の旅に、しかも青森から襟裳岬までかなり遠いいのに行くなんて、余程親しかったんでしょうね?

何はともあれ友人の死に悲しみに打ちひしがれていたであろう田中義剛さんですが、その帰りに運命的な出会いをします。

門別の牧場で馬の出産を体験したそうです。

友人の死から、馬の出産と、死と生を味わった田中義剛さんは、感受性の強い16才だったこともあり色々考えたのでしょうね!

そして、この時に牧場を持つ決意をしたのです!

その後、当然のように北海道にある酪農学園大学に入学し、牧場を持つために勉強するのです。

ちなみにこの大学、私立としては日本最大のキャンパスを持つそうです。

2017~2018年に加計学園で話題になった”獣医学科”を持つ大学でもあります。

大学4年の時に「牧場をやる」と宣言したそうですが、「2億必要」と言われショックを受けたそうです。

というか、それまでは誰にも言わなかったのでしょうか?w

ここで普通なら『コツコツお金を貯めていこう!』とか、『どこかの牧場で働こう!』とか思いそうですが、田中義剛さん違いました。

結論として”芸能”の道に進みます!

元々大学時代にシンガーソングライターとして、田中義剛さんの年齢が22才頃にTBSラジオと日本コカ・コーラの主催で開かれていたアマチュア歌手・バンドのコンテスト:”フレッシュサウンズコンテスト”で審査員特別賞を受賞します!

ちなみにこの”フレッシュサウンズコンテスト”では、田中義剛さんが賞を取った3年後にあの”TM NETWORK”がグランプリに輝いています!

というわけで、歌で芸能活動をするかと思った田中義剛さん、またここで謎な動きを見せます。

ラジオのオーディションに”しゃべり”で応募し、これまた見事に合格しSTVラジオの番組内で1つのコーナーを持つことになったのです!

そして、さらにびっくりなのが、札幌の繁華街:”すすきの”に店を出し、ラジオのパーソナリティや歌手として活躍し人気を高めた後、ついに”オールナイトニッポン”のパーソナリティとなるのです!

あれ?どこかで聞いたことある話だな?w

そうです、大泉洋さんは、田中義剛さんの先例があったから安心して活動できたのではないでしょうか?

時代が違うので、ラジオとテレビというメディアの違いこそあれ、

  • 大学時代から活動
  • 地元:北海道で人気者になる
  • 上京し全国になる

本当、そっくりですね!

と書いていると、大泉洋さんに叱られそうですがw

ちなみに歌はかなりうまく仲間のミュージシャンからも評価を得ていたそうで、吉田拓郎さんや長渕剛さんの後継者として見られていたようです。

当時の様子があったのでどうぞ ※削除されていたらすいません

歌もうまいし、ギターもうまいですね!

というか、しゃべりがおもしろいwww

2枚目の路線でいけたはずなのにw

時代なのか、尾崎豊さんのような衣裳ですね?

ともあれ1980年代は歌手活動を積極的に行いながら、あの”笑っていいとも”にレギュラー出演したり、テレビドラマに出演したりと、歌手、バラエティタレント、俳優までをこなすマルチプレイヤーとして大活躍していました!

そして、ついに!

芸能活動も少し落ち着いた1992年、念願の夢が叶うのです!

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花畑牧場の大成功の裏には田中義剛さんの性格が!?

田中義剛さんが芸能界で活躍した1980年代。

特に1980年代の後半について、みなさん何か思い当たることはありませんか?

そうなんです、日本はバブル全盛期です!

ということは、田中義剛さんは芸能界できっちり稼いだ資金を元に牧場を開設!

なんて簡単にはいかなかったようです。

もちろん、稼いだお金もあるのでしょうが、所属事務所:アップフロントエージェンシー(当時)に借金をして”花畑牧場”を開設します。

1992年といえば、田中義剛さんの年齢が34才の時に開設した牧場は、乳牛であるジャージー牛が1頭いるだけだったそうです。

税務署から「牧場なのかペットを飼っているのかハッキリして欲しい」とまで言われてしまったようです。

田中義剛さん、悔しかったでしょうね!

チーズの開発をするも失敗、従業員もどんどん辞めていき30人から2人だけに。

借金は4億円になり自己破産も迫られ、土地を売ろうにも「資産価値無し」と判断され売ることもできず・・・。

タレント活動を復活させ、牧場で作った製品の営業を行い、地道な努力を続け何とか花畑牧場を経営してたようです。

そして、運命の2007年が来ます。

前年にノースプレインファームが開発し、花畑牧場でも生産を始めた”生キャラメル”が大ヒットとなります!

というのも”生キャラメル”がおいしい、ということもありましたが、もう1つ決定的なできごとが!

北海道のお菓子といえば”白い恋人”を思い浮かべる人も多いのでは?

賞味期限先延ばし問題が発覚し、土産店から”白い恋人”が消えたのです!

このタイミングの良さと田中義剛さんの知名度、そして何より”生キャラメル”の良さが相乗効果を生み、大ヒットとなるのです!

2009年6月には年商120億円、従業員も1,500人になります!

ところが、2009年秋には陰りが見え、都内に出店した店舗の閉鎖、従業員の解雇をします。

翌2010年には商品の多様化を目指し、生キャラメルやホエー豚を軸に商品を展開するようになります。

そして、第2の大波:”ラクレットチーズ”の成功となるのです!

田中義剛さんは”ラクレットチーズ”10億円!も稼いだようです!

元々輸入に頼っていた”ラクレットチーズ”

だいぶ前から”ラクレットチーズ”に目をつけていた田中義剛さん。

自社で開発し、現在は国内生産の90%のシェアを持つようです。

そして、国内のみならずチーズを食べる文化が無かったタイに進出し、これまた大当たり!

アジア全域にわたって花畑牧場の製品を売り込んでいこうと目下画策しているようです!

ところが、これらのヒット商品や、田中義剛さんの動きについてバッシングが凄いようです。

たとえば、生キャラメルについては、そもそも花畑牧場が開発した製品では無いのに、商標登録をしようとしたり(結果は却下)、夕張メロン入りの生キャラメルでは夕張市は必要としていないのに勝手に工場を作って夕張市を混乱させたり、ホエー豚の基準を満たしていないのにホエー豚として販売していたり・・・。

とにかく、やりたい放題です。

かつ、生産~販売まで自社ですべてやっているので、農業で通常利用される農協や問屋といったシステムを無視した形になっています。

田中義剛さん本人は「やっかみ」ということでバッシングを意にも介していませんが、若干強引過ぎる気がしなくも無いですね(^_^;)

とはいえ、昔からある日本の体制が消費者のためになっていないかも?という意見もありますし、要は消費者が安心して食べられる製品が作られていればいいのかな?とも思わないでもないですけど。

出典元:オフィシャルサイト

またもや坂上&指原のつぶれない店に出演!

そんな田中義剛さん、8月12日放送の”坂上&指原のつぶれない店”に出演します!

6月に出演した際は”ラクレットチーズ”の話題で出演者や私たちを驚かし、そして今回は或る芸能人が経営する店の再生のために一肌脱ぐそうです!

花畑牧場の倒産のピンチを乗り越え大きくした田中義剛さんが、どんなアドバイスをするのか楽しみですね!

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まとめ

いかがでしたでしょうか?田中義剛さん。

一連の流れを見ていると”芸能界でさえも牧場のため”ということが見えてきて、通常であれば”芸能界こそ憧れの世界”と考える私たちと考え方が全く違う気がします。

友人のために追悼の旅に出る純粋な心を持った少年が、他人が開発した商品を自分のものとして商標登録しようとするまでになったのは、やはり”お金”なんでしょうか?

事業が大きくなるのは楽しいですし、やりがいもあるでしょうし、何より芸能界でも味わえない何十億、何百億という売上/利益を生む事業の虜になっているのかも知れません。

もちろん高校時代の出産に立ち会った感動は忘れてはいないのでしょうが、今後の花畑牧場、そして田中義剛さんが、どのようになっていくのか興味深いですね!

ちなみに花畑牧場の理念は、

”おいしさで世界を笑顔に。”

ということだそうです!

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